苔になった私
  2005.3〜

     

私の姿はあのじめじめした日陰に生えています苔。
そう苔なんです。
人間社会にいたころってゆうのは私の前世、今は苔。
まあ私の話を聞いてくださいな〜。
あのとき私は気絶してしまったようなんです。
もう全身が朦朧としてきてふわ〜っと宇宙の外へ飛び出てしまったようでした。
もう身体がないんだ〜って思うと哀しくなってしまいましたけれど、地面に落ちた私の涙が苔ってゆう生命を持ち始めたんです。

私、苔の私、私は苔です。
動物でも植物でも、どちらでも思うようになれる苔です。
今日は植物の苔さんです。
いつも日陰にいてるものですから日陰者なんて云われますけど、でもその方がなんでもよく見えていいんです。
そんな私に注目してくれる人間様もいらっしゃって、私を写真に収めてはニヤニヤと笑っているお方がおっしゃったんです。

「苔のキミ、世の中のこと、どう思います、楽しいか苦しいか、どっちだ〜、これは思い込みようです。苦しいと思うより楽しいと思うほうがいいですよ〜」っておっしゃったんです。
それで私、苔になった私は、世の中は楽しい!って思うようにしています。

これから苔の私が、苦しいと思っている人間様にご奉仕してあげて、楽しいものにしてあげますから、ね、よろしくオネガイします〜。

     

まだ人間様でいらっしゃるお方のなかで、もう死にたいよ〜って悲鳴をお挙げになってらっしゃる方がおられると思うのですが、そう思うのはごもっともとは申しましても、生きて幾らの人生でっせ、死んだら元も子もありませぬから、その苦しみを和らげましょう。

死にたいと思う原因は、なんですか?え、商売でいき詰まって借金返済期日が迫ってるけれど、お金を工面するあてがないんですって?
そんなの簡単ですよ、ほっとけばいいんです。なるようになります、そんなこと!ただし恥を忍ばなければなりませんよ、でも、それは度胸です、ほっとけ〜!って思いなさい。ほとけになる前にほっとけ〜!です。

いえいえ、犯罪でもなんでもありません、身ぐるみ剥がれても命までは剥がれません。家族がいるじゃありませんか、家族が離散することもありません。
まず、何とかなる、ほっとけ〜!命までは失いません、ほっとけ〜!

こんなときは、愛に溺れます。世の中の暗部がぱっくりと割れて、そこを覗き込んでしまいますから、それから感情がもうすっとんと落っこちちゃって、ごはんなんか食べる心地しませんですよね。危険状態ですけど、生きたい〜〜〜!って叫んだらいいんですよ、苔の私が見守ってあげますから、叫んだらいいんです。

なんとかなる!他人任せの無責任、これで行きましょ〜!
気持が戻ってきたら、次の責任を負えばいいんです、今はひとます、他力本願、ただただ逃げまくれ〜〜。

     

他力本願でようやく生き返って私は苔になりました。人間様の世界は、言う事とやることが裏腹じゃないですか。
戦争ダメっていいながら戦争やるわけでしょ!
ヒトは生まれてきて人間として尊ばれるっていいながら、踏みにじられるでしょ!
ヒトを粗末に扱ったらあかん!といいながら、粗末に扱うでしょ!

そんなハリボテで嘘ばっかりの人間社会だとしても、そこで一生懸命生きよう〜と頑張ってましたけどね。
自らの死を自覚したとき、もう涙が出てきて止まらなかったです。自分の書いた文章を読んで、もう涙が出てきて仕方なかったですね。
とゆうのもそこには夢と希望が書かれていたからだったと思います。

夢と希望、愛と美、今年の正月に、ようやくこのテーマを立てる勇気がでてきました。苔になった私は、もう原始人類です。
生きることの本能を引っ張り出してあげて、夢と希望のある日々、愛と美を感じられる日々を、つくりだしたいな〜と思っているんです。

そんなもんだから、生きるってことは非常に大切にしないとダメですね。
おんなじ生きるのなら、気持を開放してあげて、素のまま生きられたら、ラッキーですよね。

     

けっこうストイックな生活してたので、ここらでエロスな生き方に変えてみようと、自己改造中です、苔になった私。
だって〜苔ってとってもエロティックに見えるんですよ。もう地面に這いつくばって生きてるでしょ。地上と地下の境界面で生きてる苔、インターフェース・苔。
男が女を、女が男を求めるとゆうのは、これ本能なんですね。生殖のための動物本能、心臓が動き、胃や肺が作動するレベルで、睾丸や子宮が動いて、情動を発生させて気分を昂ぶらせますね。

普通はさ、これって最大の興味なんじゃないですか?
ただこればっかりだと、世の秩序が乱れちゃうもんだから、蓋しちゃったんですね。それでセクスすることを特殊な特別な領域に封じ込めてしまったんだと思いますね。
善と悪、聖と俗、光と闇・・・こんな分け方すると、セクスって、悪で俗で闇、そこで男と女がつがいになって巣作りして公認するわけです。
結婚ってゆう代物ですが、このセレモニーで公然とセクスできることになります。

苔になった私はもう人間の年齢でいうと老齢で侘び寂び静寂の境地に入るころです。身体がゆうこと聞いてくれないんだが、気持はまだあるのだ。

苔の私の現状は死の恐怖に立たされて、最後の足掻きかな〜!
だから真実味もあるってことですね〜、たぶん、ね。

     

苔になってしまった私が、死を予感したときってのはさ、もうエロスに没頭したような、つまりエロスは生、生きることへの渇望だったと思うんですよ。

だから、死にかかけてるヒト、自殺しようなんて思っているヒト、そんなヒトはエロスに徹すればよろしいです。浪漫で超現実でいけばいい、もうこってり料理てんこ盛りですね。女体を空想するんです。ええ、あられもない姿の女体を空想するんです。女の人はどうもこうは行かないようで、自分が男に弄られる空想がいいそうです。

つまりセクスは生命力なんです。生命力旺盛なお年頃のヒトはこんなこと理屈じゃなくて、心と身体が要求するんだから、為すがままに任せたらいい、なんていってますが、モラルに反しちゃいけませんよ、あくまで想像の領域で処理しないといけません。

苔になる前の私も、それは想像の領域です。命のパワー溢れるエロ写真を見たり、昔のビデオを見たり、もちろん極秘とはいわないけれど、秘密のなかで自分を奮い立たせるのです。

     

エロスが命を救う!こう分析すると、いま人間様の世の中で、原則18禁ではありますが、もうファンが多いんでしょうね。氾濫時代。苔になってしまった私人間様でまだ若かった1960年代なんて、8ミリフィルムってのがあって、これブルーフィルムっていってましたけど、3分間無声でジーっとゆう映写機の音聞きながら、女が男に乱暴される、ええ陰部挿入が目当てのフィルムです。そんな時代ってのは、人目につかないところで秘密集会みたいにして見たもんです。

1980年代になるとビデオが普及しだしたから、無修正ビデオが大量にコピーされて出回ったと思うんですね。それが今はインターネットで手に入れることができるんですね。
いずれにしてもエロスがもてはやされるとゆううのは、死にたい欲求に追い詰められた心が大量生産されてるってことです。

死ぬってことは生命を絶つってことだから、エロスの耽美が狼煙のように心の中に立ち上ってくるんだと思いますね。

遠い遠い人間様だったころの記憶がよみがえってきます。まだ身体があって気があって身体と気が合致していて、身体が気を醸成していたころ、生のエロスがいつも身体を支配していました。

     

男は女を求め、女は男を求める。この男と女が織り成す磁場は結合の磁場です。結合にいたるまでの時間には、身体わくわく気もわくわく、溢れる情動がさまざまな行為を行わせます。

男は女を拘束し、女は男に拘束される。男と女の磁場を振り返ってみると、その磁場はセクスの場。男と女が裸になって弄り合い、舐り合い、気が昂じてくると男は女を身動き取れないように拘束し、愛の磁場を創りだしていくのです。

縄で拘束された女は股を拡げられ男のなぶりものにされる。なぶりものにされる女は弄られて身動き取れないがゆえ、悶え喘ぎ呻くのです。男は穴を覗き込み、女は穴を覗かれる。覗き覗かれることで男と女は昂奮し最後の交情に及んでいきます。

春になるとそんな遠〜い記憶が苔になった私に甦ってくるのです。


人間様の欲望のなかに権力欲と征服欲があります。父性と母性の分け方でいくと父性領域にある欲望です。
人を支配したい欲望、これが良いのか悪いのかの議論はさておいて、はあ、苔になった私は、これは悪いと考えてはいるんですけど〜ね。

といいながら男と女の関係にもこの欲望が支配するようですね。長〜い時間が培ってきた男と女の役割分担、男は狩に、女は子育てに、なんてね。それに男は能動、女は受動。男は外へ、女は中へなんてね。
こうして人間様の社会ってのが役割分担のなかで創りあげられてきてね、これも権力欲のなせるところだった。

     

男が女を拘束してセクスする。こんなことが世にはびこっているんです。男と女の欲望の結果として、男が女を縛り上げ、身体の自由を奪ってセクスする。女は男に縛り上げられ、身体の自由を奪われてセクスされる。

これは男と女の文化史です。賛否や良否は埒外に置いておきます。現状の姿です。

今日は私の姿をご披露しましょう、苔になった私。
いつも地べたに這いつくばって人目にふれないように陰に身を潜めておりますけれど、そんな苔の私を好んでくださるお方もいらっしゃるようで、こうして日の目をみさせてくださった、おお、ありがたや〜の気持でございます。

私とて生命の端くれでございますので、生殖の行為は人知れずやっております。地べたから見上げます空の様子は虚ろでございますが、地下の魔の様子も虚ろでございます。こうして身を晒している地表だけが明瞭なすがたでみえるのです。

虚ろといえば、♂♀の交情の最中とゆうのも虚ろな世界でございますね。人様でいうと男と女の交情の最中のことです、虚ろ。
身体のなかが感じるためには、見えるものを虚ろにして、夢のなかに埋没していくのでござりましょう。あられもない姿態をとって、あられもないお声をあげて、もう理屈なんぞの世界じゃございません。

     

情、なさけの気持です。苔になった私がいちばん大切に思うことは、この情なんです。男が女に情けをかける。女が男に情けをかける。人の世ではホントの情が充満していく様を「情けない」というのでございますが、それは嘘でございまして、情けない状態というのは、情けある状態なのです。

男が女に情けを注ぎ込むのはお股から突き出た棒でございます。女が男に情けを注ぎ込まれるのはお股に開かれた穴でございます。
男の棒と女がの穴が結合することで、情けが生じてまいります。
苔になった私の興味は、ただただこの一点に尽きるのでございます。

おわり


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