苔の私日記にひっかけながらの宇宙論です。 非科学宇宙論^o^ 宇宙はひとつであります、っていうのはウソのようですね。 ボクらが一般に宇宙っていうときは、このボクらが存在の痕跡を残している全体を宇宙って云ってる。 その大きさってのが半径130億光年ぐらいの長さの球体だって云ってます。この宇宙とは別の宇宙がある!っていうんですね。 理論的にはそのように推測できるそうです。 つまりボクらがいる宇宙のほかに、兄弟姉妹の宇宙がある。 それから半径130億年の長さがある球体ですけど、130億年前は無。それがある瞬間に有になる、ビッグバ〜ン。 こんな話は科学の領域で解明されつつある真実のようですけれど、ここでの興味は、宇宙の生命体、あるいは宇宙と生命体のことです。生命体って云ってしまうと、皮膚に包まれた個体となったものをさしますよね。 でも、考えようによったら、自分という生命体(個体)が発生する以前と生命体(個体)が消滅してしまった以後、このふたつの領域のなかに、個体ではない生命体もしくは生命がいる。 一般には、このように信じるヒトもいますね。 ボクはどうしようかな〜って迷っているんです。ホントですよ、マジ。 というのもボクらの世代ってのは、唯物論なんです。 物質つまり皮膚に包まれた個体としての物質の存在がまず先にあって、それが全ての源であって、考えとか感情ってのは後付ソフトディスクです。 こういう考え方を若い頃に教え込まれたもんだから、そっから抜け出ることが出来ないのです。 でも、あながち、そうともいえんな〜って妄想することもあるんですね。で、この妄想じたいが後付ソフトディスクです。 こんな結論を導いてしまうんです。ですから結論は唯物論。 でもそれだと、もう味気ないんですね、ニヒリズム、虚無主義、もう、もう、どうしようもないじゃないですか、救いようがない! これが生命体の宿命であって、事実なんだ〜〜って思えば思うほど、別の妄想体系に入っていかないと救われない、って感じなんです。 神様がいるなんて、信じてないですよ!信じてないけれどこの神様に代わる「なにか」ですね。そういうなにかを信じたい。 この信じたいと思うこと、ここからですね、始まり。 「苔の私日記」っていうのは基本的に♂♀の物語。この文章をここで書いてるんですが、もちろんフィクション、作り話です。妄想の産物といえばいいのかも知れませんね。「管理者の手記」っていう文章も別のところで書いています、♂♀登場の話です。「エロス&タナトス物語」っていう♂♀物語も書いてます。 この3つの♂♀物語をボクは3部作として並行して書き残したいな〜っていう欲求があるんです。 宇宙の物語です。特にこの苔の私日記は皮膚に包まれた個体の誕生前と死滅後の世界についての妄想物語なんです。 だから辻褄あわないことをいっぱい書き連ねていこうと思ってるんです。むしろ辻褄排除(笑)因果排除^o^:そうしたらどんな話になるのかな〜という、話にならない非物語をかきたいな〜!! |
今日は台風がやってきています。 もうTVでは、朝からライブ放送やってます。 自然の摂理に人間様右往左往のご様子です。 なにかしら台風がやってくると胸騒ぎがします。 物理的には南の海上で気象変化が起こって台風をつくりだす。 大気の変化で風雨をまとった恐竜ですね。 宇宙人襲来!!っていうような感じで報道してますね。 地球っていう閉鎖系のなかで起こってる現象ですね。 この現象がヒトの内部に与える影響ってのを感じますね。 この影響が胸騒ぎを起こさせるのかもしれないな〜。 地球を包んでいる皮膚は、ヒトのからだを包んでいる皮膚ですね、これと相似形ですね。 台風は自然の生命体ですね。 発生(誕生)して、暴れまわって、消滅(死)していきます。 人間の尺度からゆうと短命ではあるけれど、 台風の尺度からいゆうとヒトが長命なんやね〜。 尺度の解釈はそれぞれの立場によって異なりますね。 で、台風って非科学的に妄想すると、これ♀というより♂ですね。 無から有を生じて、次の特異点を捜し求める旅なんやな〜。 特異点は♀と巡り遭うこと、でもな〜残念ながら巡り遭えないんですね。 巡り遭えないから乱暴をする。 もう台風の内部ってのはエネルギー有り余ってメラメライライラ状態。 なのにそのメラメライライラ状態を鎮める大気の精が見つからないから暴れまわるしかないんですね。 ここに大日如来さんの出番があるんですね。 大日如来さんが抱かれてあげればそれで鎮まる。 ♂は♀を求める!♀は♂を待っている!っていう自然の摂理からゆうと、そうゆう妄想になりますね。 |
なんかしら寒くなってきました10月27日です。 大地が地下から揺れている、大きな地震です。 悲しい気持ちがしてきます。 ほんとうは悲しい気持ちをつつみこんでの宇宙論にしたいんです。でも、この日記っていうのは、その悲しさを追放するためにやってる作業なわけでして、でもこころの奥底に秘めたる悲しみの気持ちは解消のしようがないですね。ダメですね。 といいながら、宇宙論エロスです。 エロスというと、エロティックなつまりエッチなことを連想しがちですが、必ずしもそうじゃないでしょ?エッチはH。変態のH。 いろいろ物申しますが、変態とは何ぞや?!と問わなければならないじゃないですか。 宇宙の写真見てて、そこに生々しい息使いを感じませんか? 宇宙の写真もさることながら、生体の内部の写真を見てても、生々しさを感じるじゃないですか。 つまり生々しさ=エロス。 エロスという代物は、気持ちを豊かにふくよかにしてくれるじゃないですか、ね。それにだれだって興味深々のことでしょ? 特にこれからの時代っていうのは、人体の不思議にスポットが当てられて、色々と解明されていくのですから、エロスを単なる興味本位というより、真剣に捉えていかないと良質なアーティストじゃないですね。 宇宙は元素、人体をつくりだす元素がある。その元素の集合によってヒト個体が作られているわけですから、宇宙の諸々に興味をもってしまいます。 科学技術が明示してくれる宇宙を見ながら、こころの目は妄想を観ます。エロスはこのようななかから立ち上がってきます。 エロスは、なによりも生きる原動力です。逆にいえば生きる原動力がエロスという代物です。 生きる、生きてる、っていうのは身体がエネルギー代謝してるだけじゃなくって、目に見えない領域が活発に蠢くということも付け加えられての容態です。 この目に見えない領域で蠢く(以下蠢く)ものにこそスポットを当てていかなければ、何にも判らないことになってしまうようです。 蠢く正体を明るみに出す。土を掘ったらみみずがでてくるように、身体のなかの蠢くところを掘っていって、何かをださないといけません、これこそ文学。 |
ボクの最近の興味の中心は、宇宙のことなんです。 もちろん科学の領域で解明されつつある宇宙の姿への憧憬的興味です。と同時に科学でないとされてきた妄想の領域での宇宙の姿についてです。 なぜ興味を持つか?だって、こりゃ宇宙の話って、壮大な空間の物語でしょ!全てを含む話じゃないですか。ですから、ボクの妄想としては、際限なく拡がっていくじゃないですか。 大きな宇宙をマクロコスモスといいましょう、小さな宇宙をミクロコスモスといいましょう、というように、この世、あの世、表の世、裏の世、いろんな世の中を総称して、オール全てのものを含む世界なんですね。 とは云いながら、ボクの行動範囲は非常に狭いです(笑) 一日の大半は机の前に座ってパソコンしてるか、寝ているか、ご飯食べたり風呂入ったりトイレ入ったり、程度ですから、非常に狭いですね。 このからだの行動範囲に比べて、お頭の行動範囲は非常に広いですね。 14億光年昔の場所までも一気に飛んでいってしまいますし、からだの部分の非常に小さい場所までも入り込んでしまいますし、もう何処へ行くのも自由自在なんです。 ここでは、このお頭の行動範囲の限りの宇宙旅行をしていきたいな〜、って思っているんです。 宇宙船が出来上がっても、ボクのからだがその宇宙船に乗る、なんてありえないことですが、♀宇宙船になら乗ることもありえます、いや、ね〜この宇宙船にはたまには乗ってます。 全てが科学という手法で解明されることが、遠い将来にありえるとしても、いま、ボクは解明された事実らしきものと、想像妄想のミクスによって、ええ、半径140億年と云っています宇宙空間を手の平にのせて、眺めてあげて、それから見たかのような嘘をホントのように並べたてて、こころジュクジュク虹の中へ突入していきます。 虹の中には虹??がある!ってホントだと思いますか? オーロラの中にはオーロラがある、見えるか見えないか未体験なんで見えるとも見えないともいえないです。あ、これは目、目に見えるか見えないかの話です。目でないところお頭のなかでは見えてます。 虹の中に突入した瞬間、手の平ほどの虹が見えました。 というように宇宙っていうのはまことに不思議ワールドです。 この不思議がボクをワクワクさせるんです。 ということで、osibe宇宙論シリーズは、科学と非科学の領域、天上エロスと地下タナトス、冥土エロスと黄泉タナトス、極楽じゃ〜、そんな感じで宇宙をとらえていきたいと思っています。 では、今日は2004年11月初日という暦を明記して、さあ、出発しましょう! 写真は写真に撮った非科学宇宙像のうちの一枚です。 |
宇宙は広大である。 半径の距離は130億年である。 この大宇宙は拡大してるっていうことですが、 この宇宙の皮膚っていうのはどうなってるんでしょうね。 つまり宇宙と宇宙でないところの境界面です。 この境界面を皮膚といってます。 ヒトの個体を区切る内外の境界面、動物の個体を区切る境界面、 植物の個体を区切る境界面・・・。 このようにして見ていくと、個体を区切っている境界面の内と外。 植物だって、動物だって、個体を包む皮膚があります。 これらの皮膚に包まれた個体、ひとつ一つがミニ宇宙ですね。 そういう視点で個体を見つめる。 身体という単語を当てるときは、ヒトを指していうようですね。 この身体の中味に興味あります。 物質と物質でないものがある。 ホントかな〜って思いながら、身体を構成する個体のなかに、「気」っていったらいいのかしらん、物質でないもの??!!。 興味の中味は、この物質と気の関係なんです。 ○大根の写真を右に添えました。 白い表面が皮膚、中味は水分とかの物質ですが、 この○大根、生きてるんです、大きくなります。 大宇宙が拡大するのと同じように拡大していくんです。 ヒトもそうですね、拡大していきます。 胚細胞が分裂・分裂・分裂して拡大していきます。 大宇宙に星がいっぱいあるように、 身体宇宙にも星のような部分があります。 大宇宙に含まれる地球に気象があるように、 身体宇宙にも気象に似た現象がある!! 宇宙の星・地球の中味はグジュグジュ火があるマグマ。 身体宇宙にもグジュグジュ火のような気があるような〜〜。 身体宇宙の内にあるの火のような気。 この「気」をなんと名づけようかな〜。 火の鳥、ではなくて、エロス。 ボクは、ここに「エロス」を見ます。 火の塊。 火の塊は燃え尽きていく。 大宇宙が冷え、地球が冷え、身体が冷えてきました。 でも、まだ火の塊が内にあります。 燃えるエネルギーです。 燃えるエネルギーは生きるエネルギーです。 生きるエネルギーのことを、エロスといいます。 ですから「エロス」とは、生きるエネルギーの元。 火の塊です。 |
ご無沙汰してました。 osibe sense、なにかと忙しかったようですね。 気になっていたんですよ、ホント。 お元気でしたか? はい、元気にしておりました! なにかと多忙を極めておりました、というのはウソです。 というのも☆日刊むくむく新聞☆っていうのを立ち上げてしまって、ブログ15箇所、それにHPとコミュニティ。 どうしても頭使っての文章ってのが後回しになってしまうんですね。 今日は、頭使う文章から始めましたから、大丈夫です。 ヒトの身体って自然そのものだっていう捉え方をしてみましょう。 俗に自然といってる現象に含まれるモノ。 気象とか現象、植物とか動物。 ヒトの身体は動物、♂♀あります。 自然現象の中には、♂♀の区別できるモノとできないモノがあります。 植物なんかは♂♀一体というのが多いですね。 動物は、どっちかというと♂♀が別々ですね。 これは身体の構造がちょっと違うように出来てるん。 自然のなかにある♂♀別々の身体を持つもの動物。 ヒトは♂♀別々の動物ですから、動物として自然と一体となる。 でもね、ヒトは他の動物とは違うんや〜って区別するんですね。 文化を作ったりしますから他の動物と混同してもらったら困りますね。 ボクは混同したらいいと思ってるんですが、そのほうがよいのに決まってるんですけどね〜。 まあね、人間ってのを自然から切り離すことで、特別仕立ての動物にしてしまうわけですね。 特別仕立てにすることで、自然の支配者にしてしもうたんです。 これが間違いの元だったような気がします。 地震も台風も支配できひんじゃん、ホント。 都合のいいところだけ支配しようとして、都合のわるいところは自然の威力だって、言い逃れする。卑怯者!!! ヒトの身体っていうのは自然といっしょにあることで成立するんです。 身体の構造じたいが自然物なんです。 そのような思いを基礎においていくといいんですね。 この自然物である身体の赴くままに、気持ちを赴かせてあげれば最高!いいんです。 人殺しをする、っていうのは自然じゃないんです。 集団であれ個人であれ、これは自然じゃなくて作意です。 自然へ帰ろう!!っていう呼びかけは、人殺しなしの世界です。 人間を他の動物と分けて特別視してはいけません。 じゃあね、弱肉強食っていう自然循環はどうなんじゃ。 そう自然現象としての弱肉強食は、仕方ないな〜! 認めざるをえないな〜。 お魚食べたり、お肉を食べたり、その是非はありますが、 ボクは悲しい性として、認めています。 でも人間同士の弱肉強食はいけませんね、絶対に。 ♂♀が食べあう真似をするのは、いいことなんですよ! これって自然現象なんです。 じゃれあいですよ、身体のなかでいちばん感じる処を食べあいっこすること。 まあね、自然というものをもっと考えていきましょう! |
太陽のように燃えろ!!っていうように太陽ってのは燃えているんです。4千度なんていう高温のようです、火の海。 太陽に吠えろ!なんていうTV番組も以前にあったんですが、何かと太陽ってのは、話題をつくりますね。 ということで、osibe宇宙論でも、太陽を取り上げることにしました。 太陽は生命の源泉をつくるようですね、光エネルギーをくれるんです、この地球という惑星にね。 この光エネルギーによって気象が発生したり生命体が発生したりする。だから太陽ってのは、神様なんです。 じゃ〜もし太陽がなかったら? 地球もなかった、生命もなかった、ボクもなかった・・・。 何もない状態であったわけです。 何もない状態っていうのは、無、む、ム、なんです。 この「無」という状態なんですが、どうなんでしょう? 老子でも無明について論じます。 聖書では明暗があります。 古事記にも明暗がありましたよね? で、この無とか暗とかいう部分ってのは、太陽があって光があることが前提の無とか暗なんじゃないんかな? ということになると、太陽というものが有るという前提が全ての根源ですよね。 ところで、ヒトの個体というのも太陽があり、海があり、水があり、大地があって存在できるものです。 個体の存在があるから、気持ちを生み出す基があるんじゃないですか? なにが知りたい、言いたいのかってゆうと、太陽の存在は絶対条件であって、個体なしの気体というか心的なものが存在するかどうか、なんですね。 個体が滅びれば心も滅ぶ。 これ、ホントかウソか、です。 生きてるヒト個体のこころとしては、実は信じたくないんですね。 科学は個体が滅びればこころも滅ぶといいます。 でも、そうではないんじゃないかな〜なんていう感じもある。 どっちを信じたらいいんかわかんないんです。 マジ、最近の自分としてはね〜。 個体は滅びても太陽がある限り、こころは滅びない。 ただしこころの形は変わりますけれど・・・なんてさ。 こういうことも信じられたらシアワセやな〜! さあて、どっちがいいんやろね。 太陽はまだまだ存在しつづけますよね。 永遠なんていわないですが、当分の間。 この当分の間は人間のものさしでは、永遠?!。 |
地球の表面っていう幕ががあります。 この表面のうちの土の部分にしかヒトは生きられないんですね。 それもあんまり寒くても暑くても生きられない。 ヒトのからだって微妙にできてるんやな〜て思いますね。 このヒトが生きてるその地表に成長する野菜があります。 勝手に生えてきてくれたら野草、野の草ですね。 野菜っていうのはヒトが栽培する植物ですね。 ヒトが食べる植物です。 ヒトが食べる、ということはほかの動物も食べる。 ヒトやその他の動物に食べられちゃう運命の野菜。 種から芽が出て葉が出て大きくなってきてね、 食べごろってあるじゃないですか、いちばんおいしい頃。 そのおいしいくなるまでに、世話をしてあげないといけない。 宇宙のなかに存在する物質が合成されていくんですね。 光と土と水、それに栄養素が必要なんです。 窒素、リン酸、カリ、というのが必需物質だけど、ほかにもいろいろ、動物が必要とする物質と同じような物質を必要とするんです。 ヒトのからだをつくっていくためには、栄養素を入れていかなければならないですね。 生殖の元になる精子とか卵子とかを作るのも栄養素の合成。 その栄養素を作り出すひとつが野菜です。 人間が化学的に作り出した物質を与えて成長させることができます。 でもね、この野菜を食べると、化学的に作り出した物質がヒトのからだに入ってきますよね。 ヒトのからだも野菜のからだも化学物質で満たされていくことって、いけませんね、不健康です。 なるべくそんな物質はお口にいれないようにしないといけません。 |
宇宙の果てまで連れてって! 宇宙の果てってどこやろな〜? このぼくらが住んでる地球のあります太陽系。 その太陽系があります空間を一般に宇宙といっておるのでございます。 宇宙の果て、とはこの宇宙空間の縁のところです。 この宇宙は物理宇宙なんでございます。 ところで人体宇宙ってご存知ですか? ヒトのからだを宇宙に見立てて想像するんです。 この人体宇宙の果ては皮膚です。 皮膚に包まれたヒトのからだのなかには、臓器があります。 この臓器が物理宇宙でゆうところの星雲宇宙ですね。 というように臓器は生物宇宙で中心はおへそ! おへその奥が生物宇宙のいちばん深〜いところにつながってるん。 おへその下にある宇宙、これを生殖宇宙ってゆうんです。 生殖宇宙は二種類あって、♀体と♂体に分類します。 生殖宇宙♀体部分を子宮、♂体部分を睾丸ペニスと呼びましょう。 でもな〜、これ人体宇宙ってのはこれだけかな〜って思いしや! もうひとつあるんです、こころ! こころの宇宙のことがあるんです。 こころは気持ちを感じる部分です。 こころの宇宙に形があるか否か、です。 どっちやろな〜?! 形あり、と思うヒトと、形なし、と思うヒトと、きっと半分半分くらいかな? 科学的手法では、ここではパーセント表示しますね。 半分半分のことを、50%と50%合わせて100%。 100%は整数1。 こういう表示になると、俄然興味を持つヒトとそうでないヒトに分かれる。 つまり、こうゆう分け方に興味を示さないでいるヒト。 このヒトが、ぼくは好きなんです。 こころがあるというけれど、あるというからには形がある。 でもな〜、この形って見たヒトいないんと違うでしょうか。 未来の学者さんが、こころの形をカメラに収めるカメラを発明するかも知れへんけれど、いまは、見ることできないですね。 でも、感じることできる。 この感じることの果て。 こころ宇宙の果ては、感じることの果てです。 ぼくはこの感じることの果てまで、いきた〜いんですけどね。 ダメですか? |
広大な宇宙空間には物理的な物質と物質ではないモノがありますね。 じゃ〜物質ではないモノって、いったい何なんでしょうかね。 闇の中の非物質といってもいいんですけれど、目には見えないようになっていますね。 闇の中の非物質について、あるのかないのかを、誰も証明したことがありませんから、あると思うもないと思うもそのヒトの思いです。 ここでこの物質としてのモノとして、ヒト個体があります。 ヒト個体は生きています。この個体を生きさせるためには食料が要ります。空気がいります、主には酸素です。水がいります、酸素と水素の化合物です。塩がいります、塩化ナトリウムです。その他にも幾種類もの食料が要ります。 このようにして食べ物を摂取してヒト固体をいつも活性化させて維持していくこと、この営み、これが生です。 そこでもうひとつだいじなものがあるんです、性です。 生に心ってのをよこにつけた字です、性。 これは、感じる!ことですね、愛とかセクスとか表現さまざまですが、感じる快感のことです。 性の営みっていうのは、快感を感じるおこないをゆうんですね。 もう少し具体的にゆうと、♂体と♀体があって、この♂♀が触れ合うことで快感を感じるんです。 この♂♀触れ合ってる姿が基本です。 この基本の応用形として、 風に触れられることで快感につながることがあります。 体温より高い温度の水に触れられることで快感につながることがあります。 このバリエーションで、自分の手で自分のからだを触れてあげることで快感につながることもあります。 でも基本形は、♂と♀が触れ合いっこすることで起こる快感です。 ヒト個体は、この快感を必要としているんです。 生きている証としての快感です。 快感はこの先を生きることにつながっていくんです。 快感のない生ってのを想像してごらん、 苦痛ばっかりでは生きていけないでしょ。 そう生きることとは生に生きると同時に性に生きることです。 その基本形が♂♀いっしょにいることなんですね。 ♂♀がいっしょにいることは生殖活動することです。 生殖活動は快感です。 欲望の源泉です。 これが宇宙の原理なんだと思います。 生は目に見える物質、性は目に見えないモノ(非物質)。 ヒトはこの物質と非物質を総合して生存・性存しているんです。 で、目に見えるモノは物質として確認できますが、目に見えないモノは物質として確認できないですから、在るか無いかは、信じる信じないの領域です。 苔の私は、この境界面に生存している物質・非物質なんです。 |
真っ赤に燃える愛、真っ白な愛。 愛に色があるとしたら何色なんかな〜? 愛、愛ってゆうけれど、 愛っていったいどんなんかな〜? 愛についてのお話は、古今東西、いっぱい語られてきて、なんとなく判るような判らないような、感じなんですね。 そこで「愛」ってどんなものかとゆうことを考えていきます。 なってったって愛ブームですからね〜! 愛って、気持ちなんですね。 理屈じゃなくって気持ち!です。 気の持ち方とゆうことですね。 それから愛には相手がありますね。 受ける愛と与える愛、なんて相手との方向があります。 相思相愛-そうしそうあい-、いいですね〜! 双方向愛のかたちです。 想い想われ、想われ想う。 寝ても覚めても、意識朦朧、あなたのことを想う。 想うことで豊かな気分になれる。 こんなのが日常やったら最高なのにね。 宇宙は愛のかたち、なんてキザなこといいますけれど、むくむくこすもすは、愛のかたちを具体化するものです、とゆうような次第で、愛はラブ、ラブラブ宇宙を創りだそうとゆうのが魂胆です! ラブラブ宇宙の磁場には♂♀がおります。 これがコンテンポラリースタイルです。 かっては神の愛が俗人に降り注ぐスタイルだったが、 いまや♂♀のいる磁場に吸い寄せられる気のあり方です。 とゆうところから♂♀ともにからだを持っているからリアルです。 からだの快楽はこころの快楽、そのなかに愛があります。 プラトニックラブってゆう概念があります。 精神愛、気持愛、こころ愛、でもこれは古典です。 愛の成熟はからだの結合を誘導していきます。 こころ愛とからだ愛の融合が次のステップへ導いていく〜! エクスタシー領域です、究極のエクスタシーへの誘いです! ボクはこの誘いを授かってしまったので、みなさんをそこへ誘導することになった。 その場所が、むくむくこすもす、osibe宇宙論なのです。 |
海は産み、海は生み、海は生命の源泉ですね。 海の生命力ってゆうのは生命の発生を促したんですね。 時間でゆえば膨大に昔の出来事です。 ボクはこの海の周辺で育ってないから、日常にはあまり憧憬の深さは感じないんですけど、目の前に見てしまうと、こころ揺すられてしまいますね。 だいたいは日本海、越前海岸をよく通るから、その海の色に染まっていましたけれど、南の島々、神々の島、その島々へ行ってきたんです。 珊瑚礁の海の色はエメラルドグリーンってゆうんだって教わりました。ゆうまでもなく透明感あふれていました。海を見ながら、からだもこんな透明でありたいな〜なんて思っていました。 ヒトのからだが透明だったらいいな〜! ヒトのこころが透明だったらいいな〜! つくづくそんな感慨にふけった時間でございました。 とゆうのは、からだもこころも不透明でございます。 からだは皮膚に包まれていてな内部が見えないです。 こころは霧のようなベールに包まれていて本心が見えないです。 ひとっつもクリアーじゃないんです。 朦朧としておるわけですから、もう朦朧体なんです。 海の中は生み宇宙、生命が誕生する場所です。 新しい生命が誕生してくる場所です。 母とゆう体内の海に生命が宿るとき、これは宇宙の中です。 海とゆう広大な場所に生命が宿るとき、海は宇宙と同質です。 このようにして海を感じ出すと、海と陸の境界線に興味がわいてきます。インターフェースってゆうんでしょうね、この場所のこと。 海は広いな大きいな〜!! ヒトの気持の海も広いな大きいな〜!! 海は産み生み、生命誕生の場所ですね〜。 |